『ありがとう』初読時の感想

(3月24日)
中古ショップ行ったらめっちゃ色々本が揃っていて、山本直樹のコミックスがかなりあった(しかもどれも全巻揃っている)。
で、『ありがとう』1巻を読んだ。立ち読みで一冊読んでしまうのは実はこれが初めてかもしれない。
で、案の定、いや、想定の範囲外で、遥かに、気が狂いそうになった。ってか、この人、恐ろしい。
今は朝だけど、余韻が凄すぎて詳しい感想は怖くてとても書けない。夜、水を飲みに下へ降りることすら怖かった。
買った森山塔のコミックは部室に密かに確保する事にした。コミックスの存在さえ怖かった。
俺の周りから森山塔という名前のつくもの全てを消さないと、自我が保てないくらいだ。


(中略)
山本直樹に話を戻すと、俺はあの、『ありがとう』の1巻が、どんなに恐ろしくて気分を害しても、1巻丸々読み終えた。
読後は自分がフラフラになって、宙に浮いているような気さえした。これがその山本直樹の作品の魔力というものなのか?
ストーリー自体には特に触れない。大した事ないからだ。ただ、この漫画がある種抜群に優れている点、それは読み手にショックを与える事だけに固執した、これでもかというくらいの神業的なテクニックである。
特に顕著な点は、普通の漫画ならそれなりに面白いであろう気の効いたギャグである。
この人のギャグのレベルは客観的に見てそれなりに上手い。そんなギャグをこんな内容の作品に容赦なくぶち込む。
一つの作品としては既に世界観と一体化してしまっているので、表面的な違和感はない。
だがこれは文面だけで捉えれば明らかなミスマッチである。これは強烈である。これだけでも気が狂いそうになってしまうのだ、充分すぎるほどに。
確かにこの漫画はキチ○イが存在する。ただこの場合、キチ○イ=ギャグの一つとして描かれている。
要するに普通、笑いをとる事が目的の作品以外、つまりシリアスな作品ならばキチ○イは作品を乱そうとするものに、完全にはなり得ないのだ。つまり本当のキチ○イをやらないということである(意味不明)。
作品そのものを破壊しても良いなどとは、普通の作者ならそんな事絶対に考えないから(でもそれを彼はギリギリ、本当にギリギリの所で止める。だから完全な破壊へは至らなくて済む。)、いや、考えようとしてもまさかやる訳がないから、である。
山本直樹の特筆すべき点の一つに誰もが思いつかない訳でもない(つまり、完璧なオリジナリティではない)けど、普通だったら誰もやらないようなもの(むしろやってどうするんだ、そんな事考えない、本当に作品として成り得るのか?というような、例えどんなちっぽけな事でも)を、本当にやってしまうのである。これは、この人は本当に危険な人だなあと心底思う。恐ろしい人だと、山本直樹とは。
漫画も非常に上手い。だからどんな内容でも最後まで読ませてしまう。はっきり言って山本直樹は「漫画」という、あくまでも「漫画」という「漫画」を書く人物としては天才だ。
それだけでいいと思うならば、それだけで良いだろう。ただ、何ていうか今でもよく分からないけど、この人は表に出てはいけない気がする(いや、出るべき?)。

ありがとう 上 (ビッグコミックス ワイド版)

ありがとう 上 (ビッグコミックス ワイド版)