3人の山本直樹と面倒な作風

『ありがとう』を描き切り、執筆媒体をマックに以降するのとほぼ同じくして、山本直樹の作風は急速に変わっていく。
ドラマ自体を排除することで、作品にたちこめる空気そのものを描くタッチに変貌していくのだ。
純文学的な志向がより一層強くなり、マンガ作品として、言ってみれば読者を選ぶ作風へ進化していった。
その変遷に、僕には隠居の道を辿っていく山本直樹自身の姿がぼんやり浮かんでくるような気がした。
山本直樹は時代時代を噛み締めながら、読者が一見では気付かない様な、微妙な変化を織り交ぜて、巧みに作品を進化させていっているはずだ。
とはいえ僕ふぜいがどんな感想を書き連ねても、山本作品を語るに及ばない、胡散臭さを感じでしまう。
それがとてももどかしく感じて、何度も読み返すのだ。


山本直樹がもう一つの裏のペンネーム、森山塔を自身の2面性として自覚的に捉え、各々の袂を分かち作品を世に出していたのだとしたら(しかも塔山森を加えれば3人になる)、
面倒なことに、さらに追求していく必要がある。
そう、山本直樹は実に面倒な作家だ。(出典不明)