ネットが普及して益々明るみに出たのかもしれない、富野信者というものの実態

勇者ライディーン』『無敵超人ザンボット3』など、初期の富野作品の共同原作者で知られる鈴木良武(五武冬史)さんは、過去に「富野由悠季全仕事」でこの様に語っている。


また、『伝説巨神イデオン』のころなどに熱烈な富野ファンが、「アニメ界の大島渚」といったことでまつりあげてしまったような部分もよくなかったと思う。
でも、のぼり盛りの時だからそれはしょうがないんでしょうけど。本当のところを言うと、我々が彼を監督兼原作者にしてしまった弊害がでてきてしまったのではと思っていました。
監督だけに専念して、流れを作る人間をちゃんとおいといて話を作って行けば、もう少し面白くわかりやすい作品が出来たんじゃないでしょうか。


ここ数年富野が本格的に新作を作らなくなって久しいが、富野ファン自体の数は、意欲的に作品を発表していた以前よりも圧倒的に増え続けている様に思える。
まさに長年の富野信者による布教活動と、本人の文化人的活動の成果だと思う。
今、「ガンダムの作者」というくくりだけで、アニメファンでなくても富野を語れる状況というものが確かに存在する。
当の富野本人もその様な状況に――現状では決して満足している訳ではないと思うが――近年は頭ごなしに否定することもなくなってしまった。
しかし、そうなるとまさに富野信者というものは、己の付和雷同っぷりに至っては全く以って無自覚な存在だ。
かくいう僕もそうだからである。
富野信者、富野フリーク、富野ファン・・・、とかく呼び方は様々だが、今一度それぞれの立ち位置の難しさについて考える必要があるのではないだろうか。

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)

富野由悠季全仕事―1964-1999 (キネ旬ムック)