雑記

そもそもアニメファンというものは、特殊な人種である。
現在、一般家庭において、録画やアーカイブが可能なビデオデッキ・HDレコーダーなどが十分に普及していて、映像を手元に残し何度も見返すことなど、特別珍しくもない。
ましてや近年はPCでインターネット上の動画サイトや動画購入サイトなどで、無料あるいは格安で映像作品に触れることが出来る。
単に映像を視聴するという行為に関しては非常にハードルの低い時代である。何も不満はないと思うのが人情であろう。
だが、アニメファンというのはそうではないのである、映像を見たり、手元に置いたりするのみのが自己と作品に対する向き合い方のすべてではないのだ。
少なくとも、そう思ってるからこそアニメのBD/DVDは現在もある程度売れ続けているし、販売され続けている。
そこに需要と供給の利害の一致があるからこそ、アニメ作品は「パッケージ」としてリリースされ続けているのだろう。
そこに売り手と買い手、双方に疑いを持つ者は少ない。実態はともかく作品自体に価値を見出すという認識に、いぶかしさを覚えたりはしないのだ。

そうは言っても、お世辞にも安いとは言えない、高額なBD/DVDソフトを何故彼らは購入するのか?そこに彼らなりのメリットはあるのか?
シリーズものならば6〜12本と買い続けることも珍しくもないし、全巻買えば数万単位での出費となる。
これが、放送を録画したものであったり、ネットの無料配信などで済ませてしまえるならば、無料で見れてしまうのに、だ。
その秘密は、もはや映像作品それだけにお金を出すというビジネスモデルが成り立たなくなっていることを意味する。
ソフトにさまざまな「特典」をつけることで、単なる作品のパッケージ品ではなく、ユーザーが求める「商品」として生まれ変わるのである。
この兆候は近年ますます顕著になっている。家庭用ビデオなどでのTV番組の録画が困難だった時代などとは違い、もはや作品単体では経済的価値を見出せなくなったユーザーに対しての
企業側が送り出した一つの回答なのだ。

ビデオソフト・パッケージ分野におけるアニメビジネスモデルの過去と現在、そして今後の行方

①アニメビジネスは本当に下り坂なのか

「アニメは日本の文化」「ジャパニメーション」といわれ、持て囃されている昨今、その影では内情は悲惨なものである、といわれる。
主に制作現場では労働状況の過酷さ、賃金の安さなどが挙げられているが、近年はそれ以前に産業としてもぐらつき始めているといわれて久しい。
何が悲惨かと言えば枚挙にいとまがないので、そう言われる一つの証左、産業としての側面を取り上げる。

まず、アニメビデオソフトの売り上げは、2005年がピークとなっている。
それ以前もアニメビデオソフト、いわゆるアニメのパッケージ産業というものは上り調子だった訳であるが、翌年の2006年を境にゆるやかな下降に転じていく。
これが一般的にアニメーション産業の不況というイメージを体現した大きな要因であると言ってよい。

アニメのバブルが弾けた、ソフトが売れなくなったと騒がれるようになったのは丁度この頃(2006年あたりから)である。
とはいえこの年あたりからであるが、アニメ自体も分かるとおり、世間的な注目度が増しているし、いわゆる熱心なアニメファンである「オタク」が世間的に認められ、厚遇されるようになった流れもある。
元々アニメーションの産業というものは、DVD/BDといった映像ソフトの売り上げを見込んで制作費を回収、リクープするという流れが大きな比率を占めており、それ故に再視聴に耐え得る、高いクオリティーの作品を残していこうといった気風もここ数年顕著だった。
ただし、それはユーザーが景気よく映像ソフトにお金を払うことに起因しており、そこがアニメの制作費回収の肝でもあったのだ。現在においてもそれは大きくは変わらない。


②「アニメを買う」という行為とは何か

元々既にテレビ放映されて、各家庭にビデオデッキやDVDレコーダーなども充分に普及している現代の日本において、新たにパッケージ商品として1本数千円、全巻セットともなれば数万円単位はくだらないシリーズのDVD/BDを購入するという行為は通常では理解しがたいかもしれない。
そもそもアニメのビデオソフトというものは、他の映像ジャンルである、ドラマ、洋画などと比べて格段に高い値段に設定されている。
例を挙げるならシリーズ1話あたり30分で全12話の「魔法少女まどか☆マギカ 」のDVDが1巻につき定価6480円となり、全巻購入すれば38880円となるところ、1話あたり基本60分で全10話収録のTVドラマ「半沢直樹」は全話収録のDVDBOXが24634円である。
しかし我が国ではアニメ作品がヒット作ともなればそのソフトが数万、数十万本単位で飛ぶように売れるのである。近年のヒット作では「ヱヴァンゲリオン新劇場版:破」はDVD売り上げ33万枚、BD売り上げ46万枚という驚異的な売り上げを叩き出した。
それは主にマニア的性質による一部のユーザーの所有欲を満たすという理由での購入動機が起因していると考えてよい。なぜなら一般的な感覚では既に一度見て、ましてや手元に残している作品を新たに商品として買い足そうとは思わないからだ。
だが、近年その行為自体に陰りが見えていると考えられる。要するにソフトが売れなくなるということはそのようなマニア的感覚を持ったユーザー達が少なくなっていると考えてしかるべきだからだ。

さらにそれらの現状にひどく悲観的になっているのが昨今のアニメ業界とも言ってよい。ごく一部の消費者にピンポイントに照準を絞って高額なソフトを買わせるという商売を今も続けているわけだからである。
「そもそも広く一般的にそれらビデオソフトを売るような手法に切り替えて、制作費をリクープしたり利潤を追求する方向性に切り替えないのか?」アニメに詳しくない方々はそう思うかもしれないが、
日本のアニメでそのようなマーケティングはそもそもあり得ないのである。我が国が誇る世界的に著名なアニメ監督である宮崎駿率いるスタジオジブリ作品など、ごく一部を除けば、
そもそもジャパニメーションと謳われる日本のアニメにはある種マニアックなテイストというものは欠かせなく、性的や暴力的な表現がまったく存在しないクリーンな作品群というものがマニアに広くポピュラリティを求めることは難しく、そもそも似つかわしくない。
だからこそマーケティングとしても、あらゆる点でやや偏った手法がとられ、それを疑問視する見方が少ないのも当然なのだ。これらの言説はあくまでアニメファンにおいての普遍性として通用しているし、現状維持されこれからも引き継がれていくだろう。


③時代性に伴う、アニメを見る、買うという行為、これからの未来

現在もまことしやかに言われてはいるのだが、単純にDVD/BDが売れないからアニメの制作資金が回収できていないという側面は、決して間違いではない。
ではあるが、ここ数年は既に現物としてのソフトの売り上げが全てではなくなっている、逆に言えばソフト単体での回収が不可能になったことで、新たな販売手法、回収手法を試行錯誤している時期に突入したといえる。
こうした新たな販売手法としてまず大きいのはデータのみの販売である。それまで物理的に存在しうる映像商品として販売されてきたアニメ作品のビデオ・DVD・BDなどが映像データとして、価格を比較的に安価に設定することで薄利多売できるという手法である。
そこで近年目覚ましいものがネット配信だ。読者もご存知の通り現在のインターネット環境において、映像作品を見る方法、ハードルというものは非常に低くなっている。youtubeニコニコ動画といった動画サイトの利用による利便性やネット回線の強化によるデータ受信量の莫大な増加がそれを可能にしているからだ。
とはいえテレビで一度放映されている番組なり、劇場で公開された映画なりといったいわゆる著作権が存在しうる映像に関して、近年はそういった無料動画サイトでも取締りの様相が激しくなっている。要するに無料では見れなくなってきている。
そういった流れの中で出るべくして出現したのが有料の動画配信ということになる。例としては「dアニメストア」「バンダイチャンネル」「東映チャンネル」といったものだ。
この有料配信、既に完結している旧作の作品はもちろんだが、リアルタイムでテレビで放映中の最新のアニメ作品のリクープにも大きく貢献していると思われる。
DVD/BDといった高額なパッケージ商品と違い、購買層のレンジの拡大と敷居の低さ、経済的余裕があまりない若いアニメ視聴者へのアピールにも繋がっていると思われ、見事に経済的価値を見事に生み出している。アニメーション産業の新しい潮流の一つだ。

一方でビデオソフトそのものの売り上げを維持する為の試みもいくつかなされている。一つには近年主流となりつつある、特典商法というものが挙げられる。
こちらは要するにこれまでと同じ映像ソフトを店頭で販売するのは変わらないが、映像と共に以前は考えられなかった付加価値の高い特典をつけるというもの。本編以上にこちらの目当てでソフトを購入してしまう消費者は非常に少なくない。
例えるなら子供がおかしのおまけが欲しくて、そのおかしを食べたくなくてもおまけ目的で商品を買ってしまう、そういったアニメファンの物欲を巧妙に利用したものだと考えてもらえばいいだろう。
特典の傾向として挙げればキリがないのだが、要するに完全にアニメファンを対象にした特典が付けられるのが主である。
ここ数年で目を引くのはイベントの鑑賞チケットや、予約チケットなどといったものが多く出始めている。こういった類のイベントは殆どの場合、その作品に出演した声優がメインのそれとなっており、昨今の声優人気にあやかったものと推察される。
最近では「ラブライブ!」の2期がそれに該当するだろう。この作品はBD第1巻がアニメBD/DVDウィークリーで発売初週の売り上げ枚数8.2万枚を記録したが、特典としてキャスト声優の出演する「μ’s NEXT LIVE at さいたまスーパーアリーナ」のチケット最速先行販売申込券を封入しており、ソフト単体の売り上げに大いに貢献している。
これらの特典商法は現在、アニメのパッケージ収益における需要と供給の関係において、ほとんど釣り合いのとれたものとなっている。単純にソフト単体では売れないし、それだけでは魅力がないということが暗に露になってしまっているということだ。(無論、純粋に作品だけで勝負できるヒット作も多からず存在する)

さらに、売り出す作品として、作品におけるジャンル・傾向自体も変化が起き始めている。例えばハイターゲットなアニメ作品というものである。近年では「機動戦士ガンダムUC」「宇宙戦艦ヤマト2199」といった、
第一次アニメブームのファン達に主に照準を絞ったハードな作品群が安定した人気を保ってきているのだ。無論、それらの作品では視聴者およびソフトや関連グッズの購買層は圧倒的に4〜50代の男性が多い。
彼らは他の世代のアニメファンと比べ経済的な余裕もあり、何より作品に対して真摯であり裏切らない。送り手側もそれをはっきり意識した上でビジネスを展開している。
単純に素直にお金を落とすという意味で、純粋さを汲んで商売に転化していく。分かりやすい構図がそこにある。

もう一つ挙げておきたいのは女性向け作品の増加である。これは厳密に言えば近年勢いのある乙女ゲームのアニメ化作品や、ボーイズラブ系のコミック、ゲームなどのアニメ化作品に限定される。
少年漫画のアニメ化作品などに一定層の女性ファンが存在するのは古くから知られるが、こちらは完全に女性をターゲットに据えた作品群であり、登場するキャラクターは美男子ばかり。その点で企画意図もはっきりしている。
このような傾向の作品の場合、特に出演声優の人気というものは著しく、前述したイベント参加権、予約申し込み券などを映像ソフトの特典として販売することによって、多くの売り上げを伸ばしているとも思われる。(具体的な作品名は「うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%」「Free!」など)
そしてこういった作品の余波を受け、女性のアニメファンが近年飛躍的に増加していることも触れておかねばならないだろう。一昔前はアニメファンというものは、圧倒的に男性がその比を占めていたものだった。
特に商売客として商品にお金を投じるユーザーに限定すれば、アニメソフトを購入する主な動機である「所有欲」を満たすという行為に素直な方々という見方が一般的であったのだ。
女性に限定して見れば、若い世代であればあるほどアニメに対する接触率が高く、いわゆる女性アニメファンの増加、ひいては今後新たに若い女性アニメファンが生み出されるという推測も出来るだろう。
彼女達が新しい価値観を持った若い世代のアニメファンとして、これからのアニメ産業を支える力強いユーザーとなってくれるだろうことも大いに期待できそうだ。


④アニメビジネスは決してなくならない

これまで述べてきたように、ただ単にアニメのパッケージ商法といっても近年はより考えられた手法を講じることでリクープを考慮し極めて特殊なビジネスと化している。
一向にアニメーション産業はこのままでいいのかという見方はあるものの、近年の悲観視する見方は一側面的なものでしかないということに我々は気づかされなければならない。
アニメ産業というのはもはや多極的なビジネスと化している極めて複雑なビジネスである。
しかし、そういった中でこれだけは変わらないのは、日本のアニメ産業というものはいつの時代も一部のマニア層が金を出し、支えているということであろう。
歴史上、一生涯アニメファンというものは、まだこの日本には存在しないのだが、今後は老人となったアニメファンも引き続きアニメ産業に金を投じることになるだろうし、彼らを対象にした作品群も生み出されることになるだろう。
「老後の楽しみにアニメを見る」というアニメファンの間でなされてきた一種のジョークが、もはや近い将来現実になりつつあるし、そういった兆候を産業はビジネスとして見過ごすはずがないのである。そしてだからこそ予期せぬ未来を好意的に解釈することができる。
全く予想だにしない新たなアニメビジネスモデルが次々と繰り出されるのは容易に想像できるし、発展性の見込みがある。だからこそ夢見がちなくらいで丁度良いと筆者は考えるのである。

「Free!」はアニメファンの「自由」を奪うかもしれない。

京都アニメーションの新作「Free!」が女性アニメファンの大きな注目の的となっているようだ。
制作発表に先駆けて公開されたPVを皮切りに、放映前にも関わらず反響が非常に大きい。
最近は女性向けアニメの熱というのも男性向けのそれとは馬鹿にできないほど大きくなったし、そういう意味でアニメにおいても男女の棲み分けというものがはっきりしてきたと思う。
美少年が大勢活躍する少年ジャンプの作品などでよく見られる男女層の嗜好の分離ではなく、ひとつの作品として女性向けアニメにも一定の需要が見込めるようになったと思う、そういったものが00年代以降のアニメブームにおいては特に顕著だなと自分は思う。


それ自体は悪いことではないと思うが、同時に危険だなと感じるところも僕にはあって「女性のアニメファンですらアニメに“クオリティー”を結びつけてしまう時代に、いよいよなってしまったのか」という暗澹たる気持ちに陥るのだ。
一応説明すると今回の「Free!」がPVなどで絶賛されている最も大きな要因こそ、映像としての破格のクオリティーであるというのは、間違いないと思う。


とはいえ、これまでの京都アニメーションの映像群のそれを遡ると、少なくともハルヒ以降はずっとクオリティーを視聴者に謳われていたし、作品としての大きなセールスポイントにもなっていた、近年は別会社もTVアニメにおける映像の水準というものを遥かに高いところに置くようになったので、京都アニメだけが特別かのようには以前よりは言われなくなった。


なのに、なぜ今回の「Free!」はここまで騒がれているのか。色んな理由があるかもしれないが、僕にとってその答えはひとつだ。
まず、何よりも“女性向け”であるということ。そして「女性向けなのにクオリティーが高い」ということなのだ。僕はそれに尽きると思っている。


例によってクオリティーというのもあやふやな単語だが、要するににそのクオリティーとやらを左右する一番大きい要素は作画なのだ。作画が良い女性アニメというのが、それだけで大変貴重なのである。
当然はじめに触れた通り、近年はアニメ全体の質が向上しているから女性向けアニメで特に作画がひどい作品というのも、それほど多くはなくなった。
だけど、これまでは女性ファンが殊更作画のクオリティーを訴えたり、ましてや製作側がそういう質的な部分をアピールすることなど、こと女性向け作品においてはまず無いことだった。同時に、あってはならなかったのだと思う。


女性がアニメを見る動機のようなものが、特に純然たる女性向け作品においてそれまですごく偏っていたと思うからだ。彼女たちは、創作意欲があった。それは作品に対し、キャラに対し、妄想する力が源となる。それら妄想が脳内で補填されて、女性向けアニメというものは成り立っていた。100%の理想の映像というものは、彼女たち自らの頭の中で完成させる。これまでの女性向け作品というのは本来そういう分野だったと、僕は思う。


そしてそれは二次創作という形で、同人市場を賑やかなものにもしていた。今でもジャンルフリーの小規模の同人誌即売会などに足を運べば、本を出しているのは9割以上女性だ。実はアニメファンというものは、今も昔も実際に絵を描いたり、文章を書いたりすることがすごく億劫な人種なのだ。
特に男性の場合はそうだ。作り手と受け手の関係というのが凄くはっきりしている、だからこそ受け手は平気で文句を言うし、出来上がった作品に対して、とにかく自分が満足することしか考えない。


だけど、女性ファンというのはそうではない。アニメにおいて自分が求める理想と現実というものが違うということをハナから承知しているし、その理想が叶えられないのなら自分たちの妄想で補填する、あるいは仲間同士で共有することを率先してやる、それを決して面倒なこととは思わない。単なる一介のファンであっても少なからずそういったバイタリティーがある。


だから、アニメにおいて、映像的に磐石でないもの、クオリティーが低い作品に対して、特にそのような創作意欲というものを尚更女性は持ちやすい。それ故に同人文化などが発達してきた歴史があるように思う。
よってそれら歴史の潮流に逆らうがごとく「Free!」のようなクオリティーの高い女性向け作品というものが出てくることに僕はある種の不安を感じざるを得ない。作り手が彼女たち女性ファンを本気で満足させてしまう、させ過ぎてしまうことは、アニメ文化とその周辺の発展において、必ずしもプラスにはならないのではないかと僕は思うからだ。


彼女たちアニメファンが数十年かけて作り上げてきた文化というものが崩れてしまう、あるいは綺麗さっぱり無くなってしまいそうで、そしてそれは男性ファンのそれと同じ末路を辿ってしまいそうで遺憾してやまない。そんな風に考えてしまうのは僕だけだろうか。


創作とはオナニーショーである。

創作とは実に難しいものだとつくづく思う。僕は“物語”を書くのが本当に不得手である。
エッセーや雑記の類はこれまでにも書いてきたし、出来に関しても多少の自負心があった。
だから、物語も何とか書けるであろうという自惚れがあり、実は今の今まで一度も書いた事が無かった。
だが、実際やってみると本当に書けないものである。いや、書けないというのは間違っているだろう。
“作り出せない”のだ。大まかな構想が、ああしてこうしてそうなる―。
まずそういうものを頭から捻り出す事から“物語”を“作る”事は始まるのだが、まずそこで僕はアウトである。
“書く”は“作る”のプロセスに含まれていて、かつ最後のステップであるから、いきなり行う事はできない。
仮にできたとしても、少なくともそれで“物語”として面白い作品は絶対に為し得ない。
これは僕の独断に基づく持論であり、ポリシーでもある。


勿論、そういうプロセスさえたどっていけば必ずしも面白い物語が作れるという訳ではない。
前述した事はあくまでも基本であり、結局面白い物語に必要な要素は唯一無二の独創性であると思う。
しかし、それだけで物語を作るのは非常に困難であり、不可能に近い。
そこで既創性を織り混ぜる必要があるのだが、それは作り手にとって本当に合点が行かない行為なのである。
言ってみれば既創性とは諸刃の剣であり非常に役立つ要素ではあるが、
頼りすぎれば目新しいもののない詰まらない作品に仕上がってしまう危険をはらんでいる。
作品にこの既創性の介入をどこまで許すかというサジ加減が実に難しい。僕の作品作りの悩みはここにもある。


こう書いていていつしか僕の文章の中で“物語=作品”に置き換えられていった様に結局
「製作物というものにはオリジナリティーを内包させなければならない」というのが僕の主張になってくるのだろう。
ただ必ずしもオリジナリティー皆無の製作物が詰まらない、あってはならないというものでもないのである。
僕個人がオリジナリティー固執しているだけで、俗に言う“王道”や“オーソドックス”
という言葉が存在するようにそれもアリである。ただ、そんなもの世の中には腐る程溢れかえっているのだ。
さらに量産して何になろう。やはり創作とはオナニーショーである。恥ずかしがらずにパンツは脱ぐべきだ。


2005/1/28/16:13 僕のメールマガジンより

「宇宙戦艦ヤマト2199」はとてもとても、よい作品なのだと思う。

今年のシリーズアニメの中では特に楽しく鑑賞している作品のひとつです。
現代的な要素も多分に含まれたリメイクではあるのですが、やはりにじみ出る古臭さに惹かれてしまいますね。
内容的な部分だけでなく、脚本、演出、作画、そして音楽と、どっしりと構えた堅実でしっかりした作品というのは、近年非常に少なくなっている印象です。
やはりメインスタッフ大半が成熟した中堅、ベテランの方々による部分が大きいのだと思うし、個人的に、一視聴者として彼らスタッフに委ねられ作品を視聴している感覚が非常に心地よくて、作品的な部分とはまた別にうっとりとした時間を過ごせる良い作品だなあと思うに至りました。
最近のアニメ自体を見るのがもう、本当につらくなっている、ジェネレーションギャップを感じずにはおれない年齢に差し掛かっている自分なのですが、こういう作品にめぐり合うことができるのは、アニメファンとしての自分はまだまだ幸せなのだなと思うべきなのでしょうか。

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アニメ「侍ジャイアンツ」

原作は『巨人の星』で著名な梶原一騎。監督は同じく『巨人の星』『ベルサイユのばら』『超電磁ロボ コン・バトラーV』をはじめとする「長浜ロマンロボシリーズ」で有名な長浜忠夫
作画監督はアニメーションの父と言っても過言ではない、大塚康生である。


世間的な観点からもっとも語るべきは大塚康生の仕事であるということ。1話の原画に宮崎駿が参加しているということであるが、若くしてなくなった長浜忠夫の知られざる代表作として、非常に優れた作品であろう。
梶原原作のアニメとしても『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』等と比較すれば知名度こそ低いもののその完成度は高く、他作品と比べても勝るに劣らないといえる。


作劇としては特に序盤はまるで大河モノのように一続きでダレさせることなく楽しませてくれる。
決して奇をてらった展開ではないのだが、まさしく長浜流ともいうべきそのストーリーテリングの上手さだけで30分毎回見せてしまう、その手腕には今見ても驚かされる。
後半、ドラマが魔球開発のストーリーにシフトチェンジし、前述の要素とは異なる展開を見せるのだが、とはいえ前述した言葉運びの上手さなどは変わらず、大衆としての視聴者を離さない作品作りを心がけていたように思う。
野球もので少年誌原作ではあるのだが、堅苦しい要素もなく老若男女楽しめ、誰しもが見始めると止まらない傑作であると筆者は思っている。