せんせいのお時間
南央美が好きになった。ブックオフでおみたま通信便も買った。何でそんなに南央美に惹かれたのか?
前々からせんせいのお時間の原作に触れたり、興味はあったもののアニメ版にはあまり触れなかった。(まぁちょっとは見たことあったが)
いや、おれはあの内容とか登場人物とか、特に好きではない。むしろ温く感じてしまい嫌いのほうだ。
何が惹かれたのか、それはもちろん27歳童顔処女教師鈴木みか(身長150cm未満)の魅力だろう。この一言に尽きる、本当に尽きる。
下級生2でも同じような童顔非処女教師は出てきたものの、やはり南央美の存在は大きい、そんなにアニメ声じゃないのがポイントなのだ。
要するに「現実にも熱心に探せばもしかしたらいるかもしれない、まだ誰の手にもかかってない青い果実であり、俺の理想の女性」である。
(中略)
そういう俺に手を差し伸べてくれそうな女性で、自分もコンプレックスを持っている、悩みを打ち溶け合ってお互い生きていきたい(ここ重要!)
いや、今書いてて気づいたんだけど、彼女のほうもコンプレックスを持っているというのがこれ、大きなポイントだなぁ!!
しかも悩みが可愛くって、それがどうにもならない、一生悩み続けなければならないという、まさに文学を志すもの、励むもの、文学者にありがちな自己模索の下に生まれ得るであろう、そして答えを導き出すことはとてつもなく難儀なことであるというのをわかっていながらも、だ。
それでもその悩みをスパーってほっぽりだして毎日の人生面白おかしく生きてやるという、そういう田舎の女とかにありがちなスケベ心を一切持たずに(たとえば田舎の馬鹿女共だったら、みか先生みたいな自分の体型をどのように、いやもう分かりきっているでしょう、ロリキャラになって白痴みたいな地元の男度共に媚び出すのだ。)
悩みを持つということは大事である、そこから自分をさらに邁進させる事が出来る、勿論人間として当然の行為なのだが、馬鹿な奴らにはそれが出来ない。だから犬畜生以下だと俺はキッパリと言い切ることが出来る。
本当に心からそう言える所が、地元の人間のどうしようもなさを俺自身から露呈させているところがどうしようにも情けない奴らであると痛切に思われてしまう。
哀れですねと同情も出来ない、犬畜生なんて言葉、こいつらには勿体無さ過ぎて使えない。カス以下なんて言葉も、効果がない。
どうしようもない、本当にどうしようもないのだ。本当に生きる価値がない人間ばかりなのだ。俺はこんなやつらと交わる事すら出来ん。(2005年10月26日1:57)
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