富野作品と僕

機動戦士ガンダム逆襲のシャア』を初めて見たのは確か小学生4年生の頃だったと思う。

その前にプレイステーションのゲームの方を先にやっていて、その後レンタルショップで『機動戦士ガンダムF91』と一緒にビデオを借りたと記憶している。

この作品、多くの人もそうらしいのだが、初見ではなかなか全てを理解し難い代物ではあると思う。

かくいう僕も、先にゲームの方をクリアしていて大まかなストーリーは理解していたつもりだったのだが、

実際見てももう一度あらすじをなぞる作業に終始した程度で特にどうといった感想も浮かばず、

「やっぱオチがあっけないなぁ」くらいにしか思わなかったのだ。

ただその後ネットで数々のガンダム関連、主に富野由悠季作品の関連サイトなり掲示板の書き込みなりで『逆シャア』について書かれた批評もしくは解説に触れていったことで見直す機会というのは何度もあった。

「(富野作品の中でも)『逆襲のシャア』は凄い!」という様な煽り文句を幾度となく見たからだ。

当時頭の悪い中学生の僕がこれらの批評なり書き込みなりに振れることがなかったら、僕にとって『逆シャア』はそこまで興味の持てる作品にはならなかったかもしれない。

というのも僕は同じ富野映画ならむしろ次の『F91』が大好きで、あれ以後の比較的穏やかなドラマ作りに転換していく、『機動戦士Vガンダム』や『ブレンパワード』といった後期の富野作品の方がどちらかと言えば好きだったからだ(『逆シャア』までのギスギスした刺激的なタッチも、それはそれでドラスティックで魅力的ではあるのだが)。


ここで白状すると僕は『伝説巨神イデオン』は通してだと1度しか見ていない。『戦闘メカザブングル』も割とまばらな視聴である。

海のトリトン』、『無敵超人ザンボット3』あたりの最初期の作品はどれも1、2本見た程度で単純に不勉強。なので視聴できる環境が整えば見たいと思うが、

その後の『聖戦士ダンバイン』、『重戦機エルガイム』辺りに関しては当分先の全話視聴になると思う。もしかしたら一生見ないかもしれない。試しに数本視聴してみたけどそれくらい魅力を感じなかった作品である。

もっとも『F91』以後で視聴を途中で止めてしまった作品もある。『ガーゼィの翼』、『オーバーマンキングゲイナー』、『リーンの翼』の3本だが、これらは個人的にどうも乗れないという理由で数度視聴を打ち切っている。

僕の好きな富野作品らしい母性論や家族論などの富野イズムが薄いからかもしれない。


ブログを書いてみて改めて思うが、僕は熱烈な富野信者ではあるが、富野作品の全面支持者ではないのだろう。

後期の富野作品でより深く語られる身体・精神を扱ったエッセンスに思春期の僕は強烈なヒキを感じていたのだと言えると思う。

高校生くらいまでは単に富野節を堪能したいという理由で全富野作品を半ば肯定していたところもあったが

実際見てみると富野作品はすべてがすべて良作ではない、しかも明らかな駄作もあるということが分かった。

特に『聖戦士ダンバイン』に関しては本当に視聴するのが辛くて、レンタルセールの時に衝動買い(借り?)したDVD全巻を、始めの3話くらいで程なく挫折し、残りを見ずに全て返却してしまった事もある。

僕は基本的にエンターテイメントとして富野作品に触れるということはしないので、富野作品を視聴する時は作画や演出は極力無視してドラマだけを追うように努める(その富野作品の根幹であるドラマ部分が思いの外薄味で、

尚且つエンタメとしての質も最低なのが『ダンバイン』であり、だからこそ僕はひたすら視聴を苦痛に感じたのだろう)。

但し富野作品の場合は通常のアニメーションの演出技法とはやや異なる、伏線やキャラクターの心理状態を体現した一種のサインとしてのキャラクターの芝居がなされることがあるので、そこは外さないように注意して見る。

最近またそういうポイントに気付くようになって、改めて富野作品を見直さなきゃならんなぁと痛感している。

富野作品とは一生付き合っていくことを誓ってはいるが、まだまだ付き合い方が浅いと感じる。もっとスキンシップ的に、裸で付き合っていかなければならないと。

この『逆襲のシャア』にしても、年に1回見返す程度ではまだまだだよなと反省するのである。