山本直樹論評(2007年執筆)

山本直樹の漫画は全て死に直結している。
彼の描く漫画の、登場人物から始まってそのあられもない性描写、とんちきな言い回し等、おおよそ全ての事象には死が根底にあり、まやかし的な理想論や永遠を確約されていない。
つまり、「人はどうせ死んでしまう、だったら少しでも、楽しい方がいい、気持ち良い方がいい。」
という訳で、全てここから始まっているのだ。山本漫画にありがちな女性軽視的な性描写、ここまでやらんでもと、僕もよく思うが、結局ああいうのにしたって作者は否定も肯定もしていない、と言うより、出来ないのだ。
それがこの世界の皮肉なのだから、どうすることもできない、だからどうにでもする。
フランス書院の煽り文句、セックスの治外法権とはよく言ったものだ。
山本漫画が説教臭くならない理由はこれだと思うのだ。
作者本人はやはり、そんなこと馬鹿らしいと思っているはずだ。
読後感の悪さもあまり作者がコントロールしてるとも思えない、ああいった流れで描いてしまえば本人的には至極当然なラストになるということだろう。
山本直樹は錯綜した本能を描ける希有な漫画家だと思う、理性のタガが外れたそれを、クールでシニカルに、そしてユーモラスに描く。
そうであるから、山本漫画は根底はみんな同じ様な印象を感じるし、同じ様に面白いのである。
山本直樹が漫画を描く時何より大事にしていること、僕は気分だと思うのだ。
彼の気分はいつも一定している。
それは創作の原動力にもなるし、作家性にもなっている。
語彙の面白さも忘れてはならない、そしてコマ運び、絵の良さ、これら三者の素材の良さで最終的に面白い山本漫画は完成する。
これがまったくダメだと、ただの不気味なエロ漫画にしかならない。
この山本直樹にとっての三種の神器は、欠くことが出来ないものなのであり、この三つがあるからこそ、僕は山本漫画をこんなに面白いと、思えるのだ。(2007年6月2日 23:21のメールより)


山本直樹森山塔)の作品に初めて触れた時のショックはそれはもう凄まじいものだった
作品毎に当たり外れのない漫画家であり、作品が全て等しい体を保っている
一貫したにおいを感じるというか、そういう作家の存在を、山本直樹を通して初めて知ったのだ
山本直樹は何を描いているのだろう?女を描くのが上手いと言われるが、それだけではない
時に男のみじめったらしさ、いじましさをラディカルな表現で大胆に描くのも山本漫画の(特に初期作品では)真骨頂であり
女性経験の希薄な男性読者は大いに共感を覚えたことだろう
また、テクニック面においても山本漫画は突出している
コマの時間軸を止めてしまうことで、騒音の中での静寂を描出することもあれば
シリアスな状況下に、シニカルなギャグを挟み込むことで、“狂気”と“恐怖”を同時に創出したりもする
それまで僕が見たことのないハイレベルな表現技法が、山本漫画にはてんこ盛りだった
とはいえ、僕ふぜいがどんな感想を書き連ねても、まだまだ山本作品を語るには及ばない


一般的にはマイナーな部類に入る漫画家だと思うが
年に数本の短編から起こした実写映画なりVシネマなりが制作されている
それらの事実から鑑みても、カルト的な人気が存在することは確かだし
一般視聴者が求めていると言うよりは、むしろものの作り手が山本にひどく執着しているということでもあるのだろう
根本にエロを題材にしてしまっているので、表沙汰に話題にはしづらく、ポピュラリティを保てないという事なのだろうか
僕からすれば実に歯がゆいのだが、山本直樹は元来そういう作家なのかもしれない