げんしけん 二代目の惨

げんしけんの二代目がつまらない、というか僕好みではない、というのもキャラクターの行動が作者の本意とも違って見えるのが違和感を感じさせて、楽しく読めない。
これもオタクの概念がハルヒショック以降、まるで様変わりしていった部分が関係していて、この作者も同様にスポイルされている様が作品に見えすぎていて好ましくない。
笹原たち初代げんしけんメンバーの当時のオタクとしてのアイデンティティだとかプライドみたいなものを否定されているようで、それは前作の読者に対しても手のひらを返し、お茶を濁されたような印象を覚えて、不快に感じてしまう。
今作はロコツにハルヒ以降の若い読者に媚びているなと思わせるパロディ描写も目立つが、それらは所詮程度の問題で、アニメ化されて以降の前作の後半からずっと引きずっているものだし、最大公約数的なネットスラングを絡めた笑いなど個人的には鼻に付くが、そのへんは商業マンガとしての作風を勘案するならば割と流して読むことができる。
とはいえ、ダメなオタクをダメなりに描いていたのが前作のげんしけん初代だとするならば、この二代目はダメじゃないオタクを無理矢理ダメっぽく描いている様にしか見えないのが、単純に前作がヒットしたがゆえの作者の傲慢さに起因しているように思えてならず、残念でならない。
これは、あらゆる部分で“げんしけん”のネームバリューありきで書かれているものだから、創作の余地が極端に狭まれているとも言える。
加えて二代目はキャラクターに対する愛情も感じられない。前作の群像劇としての作劇スタイルこそが当時ほかのオタク系漫画とは一線を画すげんしけん独自の持ち味であったはずだ。今作に至ってはそれらは完全にスポイルされてしまっているから、残念ながらオタクしか読めない。
殊にオタクしか楽しめないものであったなら、初代げんしけんはあそこまでヒットしていなかったのは明白であろうが、二代目に関して言えば個々のキャラクターを立てるという方向性が明確ではない以上、今作のげんしけんの描写は単純に「なんかキモい奴らが集団でやいのやいのヨロシクやっている」ようにしか見えない。
図らずもそういう部分が非常に気色悪く写ってしまっている。生産性のないドラマ、生産性のないキャラクター、生産性を放棄した作者自身の奢り、すべてがマイナスに作用してしまい、ダメさを描くことの面白さを明確に打ち出した前作とは逆に、ダメさを描くことがそのままツマラナさに起因してしまっており、今作の作風は前作ファンとしてはひどく許せない。
続編を書くに至っての作者のブレ具合がうまく消化されておらず、あらゆる点でそのまま作品に反映されてしまっている。
この場合、前作のファンは読むべきではない。この作品においては少なからず、後の人生を変えられた人もいるであろうから。
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げんしけん 二代目の壱(10) (アフタヌーンKC)

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