アニメージュ2005年8月号より この人に話を聞きたい第79回會川昇インタビュー

ストーリーエディターの役職で参加した『鋼の錬金術師』で、多くのファンを魅了した會川昇
非常に早熟な書き手だった彼は、17歳で脚本家デビューし、20代後半でOVAブームを支える主力クリエイターとして活躍していた。
OVA時代から、濃厚な作風、仕事ぶりは際立ったものであり、傑作や異色作を数多く残している。
勿論『ハガレン』も、そんな作品のひとつだ。劇場版『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』の公開を控えた彼に、今までの仕事暦、そして、脚本という仕事についてどんなふうに考えているのかについて、伺ってきた。


―― この連載に登場してもらった人たちの中では、會川さんはキャリアの長い方で、あと2年でデビューから四半世紀になるんだよね。
會川 そうなっちゃいますね。ありがたい事だと思いますよ。
―― 数も多いから、ひとつひとつの作品を細かく聞いていくわけにもいかないので、今日は総論的な話が聞ければいいなと思うんだけど。
會川 小黒さんの方で、俺の「何とか期」「何とか期」を勝手に決めて、それに沿って訊いてくれても構わないですよ。
―― そもそも、どうして脚本家になりたかったの。
會川 (苦笑)。またまた。今さらそんな事を訊くの?
―― だって、俺は聞いた事ないよ。
會川 そうだっけ。脚本家という職業の存在を意識するきっかけになったのは、「ファンコレ」ですよね。最初のウルトラのやつ。
それを見たのが小学6年の時かな。それまでも怪獣図鑑からデータを抜き出してサブタイトルリストを作ったり、図書館に行く事を覚えてからは新聞の縮刷版を調べて、特撮番組のサブタイを書き写したりしていたんだけど。
―― 小学生の時でしょ。早いなぁ。
會川 そう?だけど、「ファンコレ」を見たら、脚本や監督まで入ったリストが載っていた。
俺は大河ドラマが好きだったの。「国盗り物語」「勝海舟」「花神」「黄金の日々」「獅子の時代」あたりがツボなんですよ。
それで市川森一は「黄金の日々」の脚本家だという認識があったのに「ウルトラセブン」のフィルモグラティーを見たら、市川さんが重要な話をやってるじゃない。
―― しかも、それが會川さんが好きな話だったりしたわけね。
會川 いや、好きな話をやっていて嬉しかったというよりは、「変わってない!」と思った事が大きかった。
この人は、若い頃は恥ずかしながら「ウルトラセブン」をやってましたけど、今は大人向けのドラマを描いています、という人ではないんだ。
だって「ウルトラセブン」の「盗まれたウルトラアイ」で書いてる事と、「黄金の日々」で書いてる事、もしくは「失楽園‘79」とか「君はまだ歌っているか」とかと、全く変わらないのよ。
青春の痛みと苦しみみたいなさ、あと楽園幻想とか。それは長坂(秀佳)さんもそうだったし。
そういう意味で脚本家というのは、一人の個人が自分を出しながらいろんな作品をやっていけるものだと思ったのね。
それから監督という仕事よりも、物語の根本に関わってるような気がしたんです。それと、俺が興味があったのは物語の方であって、現実にフィルムを作る事じゃなかった。
後に高校から専門学校に行って、その間に8ミリ映画の制作を何度か経験したけれど、8ミリカメラで撮ったものに、後でハサミをいれて編集するという事に、何の快感も感じなかったんだよね。
それは自分に映像的なセンスがないからだと思う。で、「ファンコレ」を読んだのが小6で、中1、中2の時は、それが脚本の態を成しているかどうかは分かんないけれど、物語を書き始めていた。
同時に、脚本家の名前で作品を見るという事を始めていた、という事ですね。
―― で、高校生の時に『亜空大作戦 スラングル』で脚本家デビュー。だけど、その後にも雑誌ライター時代があるわけだよね。これはどうして?
會川 だって、その前から俺は雑誌ライターでしたからね。ギャラをもらった仕事は、中3の時にコロムビアの『ザ☆ウルトラマン』のBGM集のライナーを手伝ったのが最初だと思う。
―― 早っ!中3ってのはすごいね。
會川 ファンジンもやるようになって、先輩達との付き合いもできるわけじゃないですか。
中島(紳介)さんや、徳木(吉春)さん、安井(尚志)さんといった方達には、面倒を見ていただきました。
で、ファンジンで書いた短い原稿を、当時の「宇宙船」編集長だった聖(咲奇)さんが気に入ってくれて、「宇宙船」で仕事をするようになった。
「今、土屋斗紀雄と浦沢義雄が一押し」という文章を書いたのを、今でも恥ずかしく思い出しますが。
―― それは照れくさいですなあ。
會川 照れくさいっすよ!(苦笑)
―― で、その後で「アニメック」の仕事も始めて、『スラングル』で脚本デビューするわけね。
會川 『スラングル』ではシリーズ構成の山本優さんが、ちょっとSFっぽい、お洒落な感じのシリーズにしたかったらしいんですよ。
従来のライターだと、そういった話を書いてもらえないという事情もあって、いろんな人に声をかけていた。それで、監督の四辻(たかお)さんの知人だった聖さんが、俺を紹介してくれたんだ。
―― 今、振り返ってみて、デビュー作はいかがですか。
會川 (笑)。当時「アニメージュ」でインタビューされた時に言ったのと同じだよ。「自分の作ったキャラだから、そっちに感情が行ってしまって、ゲストキャラにウェイトが寄り過ぎている」と(プロデューサーや監督に)言われた、というやつ。
スラングル』では3本書かせてもらいましたけど、3本目はお情けで書かせてもらったみたいなもので。
山本さんには「3本書ければ一人前だよ」と言われていたんだけど、3本目を書いたところで、もうダメだと思われたみたい。
その後、国際映画社から声がかかる事もなかったし、一度、脚本家としての活動は中断しているんです。
自分としても、脚本家としてデビューしたから、このまま続けていこうという意識はなかったし。
当時は高校在学中でしたから、改めて一から勉強しようかなと思って専門学校に入ったり、ライターの仕事を熱心にやったり。
だから、雑誌やムックの仕事は、高校を出た年にいっぱいやっていますよ。ムックを年間に20冊位作ってるし、文庫も作ってる。
「B−CLUB」は創刊から参加してますから。そういうかたちで高校を出た後の1,2年はすごく忙しくやっていた。
ライターをやってると、いろんな人との付き合いが増えるじゃないですか。それで、平野(俊弘)さんや何人かの方が、俺に興味持ってくれて。
作品に誘っていただくようになって、脚本の仕事を再開する事になるんです。
―― なるほど。
會川 それで、ちょっと忙しくなってきたんで、雑誌の仕事は辞める事になった。
二足の草鞋を履いてるのが、よくないのは分かってたんで。今でも二足の草鞋を履いてるやつが、たまにいるけど、あれは何の役にも立たないよ。
―― で、ものすごい量のOVAを手がける事になるわけだね。88年だけで10タイトル。
會川 その年と次の年が、一番多いはずですよ。年間20本以上書いてるでしょ。
―― すごいなあ。
會川 けど、OVAのシナリオと言ったって、30分だからね。今のTVを書く作業と、そんなに変わってないですよ。
―― この頃の會川さんの作品だと、『うろつき童子』がベストだと思うんだけど、御本人的はいかがなんでしょう。
會川 『うろつき』は、できた作品としてはベストでしょう。だけど、脚本が素晴らしいかというとさ。
―― 違うんだ?
會川 だって『うろつき』は、『スラングル』の後の再デビューに近い作品だからね。脚本としては練れたものではないですよ。
ただ、脚本家として、原作どおりにやっても面白くないと思って、一から作り変えたという事に関しては満足してますし。その後の『(真・超神伝説 うろつき童子)魔胎伝』なんかは、かなり自分の意図どおりにやらせてもらったんですよね。
―― 『魔胎伝』も面白かったですよ。
會川 ミュンヒハウゼンとか出て来るのは、俺のセンスですよね。あれは楽しくやりました。
それから、今でも、その時のペンネームを明らかにしてない人が多いから、名前は出さない方がいいんだろうけど。
『うろつき』って絵コンテや作画に、かなり豪華なメンバーが入ってるわけですよ。当時の二十代前半でOVAをやっていた人達って、自分のやりたい作品には呼ばれないし、自分達がやってるビデオというのはどうせ主流じゃないという事で、鬱々とした想いがあった。
『うろつき』はそういった若い人達の想いがぶつけられた作品だよね。『うろつき』以外でも当時参加したOVAには、そういった同世代の若い連中が作っているという意識がありましたよ。
―― 『うろつき』の2巻はすごいインパクトだったよね。包丁で男性が自分のアレを切っちゃう話。その後で、良心に目覚めると溶けて落ちてしまう(笑)。
會川 そうそう。
―― シチュエーションとしては原作にあるものなんだけど、インパクトはすごいものだった。
會川 と言うか、今見ても頭のおかしい人が作ったフィルミニしか見えないよね(苦笑)。
―― こんな話を「アニメージュ」に載せていいのかなあ。
會川 自分の事だから構わないでしょう。『うろつき』は、国内でDVDがいい状態で出てないから、俺は海外のものを買って持っていますよ。
―― 御自身の中で、いつまでがOVA時代ですか。
會川 『THE 八犬伝』まででしょ。その間は、TVは『(超音戦士)ボーグマン』くらいしかやっていないよ。
他は呼ばれて行って、1本書いたらクビになってるの。今でもそうなんですけど、俺は各話で入ると、1本でクビになるパターンが多いんですよ。
それは多分、1本限りの仕事でも、相手に合わせる事をしないんですね。それは、誰も教えてくれなかったからさ(笑)。
―― そういう仕事の仕方を。
會川 そうそう。だから、自分が書く一本を、作品として成立させないとつまんないから、よし、やるぜと言って全力投球しちゃうわけですよ。
例えば、『ドラえもん』に参加できるチャンスがあった時に、そのために原作を全部読み直して、未収録の分は図書館に行って読んで。10本位のプロットを持ってったんだけど、「なにか違う」とか言われて(苦笑)。
そういうふうにね、情熱の注ぎ方が空回りしてるみたいで。
―― 「そうですね」とかって、あいづちを打ちづらいなあ(苦笑)。OVA時代で『うろつき』以外の代表作はどれになるの?
僕の印象だと『冥王計画ゼオライマー』かな。
會川 『ゼオライマー』は、自分の代表作だという気がしないんだよね。あれは脚本どおりのものになっているけど、脚本どおりの作品って、どっか好きになれないんだよ。
―― え、そうなの?
會川 うん、多分ね。あの頃のロボットもので、自分の色が出てるという意味では、むしろ『(大魔獣激闘)鋼の鬼』だよね。
それと、ちょっと時代が違うけど、『AD.POLICE』の2巻。あれは、自分の趣味性がよく出てる作品だと思います。
監督の西森(明良)さんが、それを理解してやってくれたフィルムだと思う。
―― 『ジェノサイバー(虚界の魔獣)』の1も、インパクトのある作品だったよね。
會川 『ジェノサイバー』の1は傑作だし、あれは大畑晃一のフィルムとしてもベストの作品だと思うよ。
参加していたいろんな人の情念とか、末期的なものがガーッと入った作品だよね。
何と言ったらいいか分かんないよ、あれは(笑)。それから当然、『八犬伝』や『吸血姫 美夕』も代表作に入るだろうね。
―― OVA時代の後に、マンガ原作等に移行してる時期があるじゃないですか。これはアニメの脚本の仕事から、離れようと思ったの?
會川 後になって、年表とかを見るとそういうふうに見えるけど、その時は、その時の仕事をするのに必死じゃないですか。ただ自分の、体重のかけ方の違いなんですよね。
―― 体重?
會川 いくつかある仕事に関して、自分の中で、どんなふうにバランスをとるかという事。俺は、脚本を辞めて小説家になろうとか、漫画の原作をやっていこうと思った事は、一度もないんだよね。
来た仕事をやっていただけで、仕事を選んでやっているわけではない。その時は、OVAの仕事が減っていたので、漫画原作をやっていた。で、漫画原作やりながら、TVの『(疾風!)アイアンリーガー』をやったら、わりと評判が良くて、後のTVの仕事に繋がっていった感じですね。
―― そうなんだ。
會川 ただ、『八犬伝』の前後に「ウルトラマンG」をやっているんだけど、当時の自分にとっては『八犬伝』と「ウルトラマンG」が大きい作品だったんですよ。
八犬伝』は、初めて企画に名前を入れてもらって、スタッフの選定からやった作品だから、自分のOVAの集大成ではあるわけですよ。
できあがりがどうだったかは、また別の話としてね(笑)。で、その後、「ウルトラマンG」に呼んでもらって、これは非常に楽しく書けた仕事だった。
やっぱり、あの時の自分にとっては「ウルトラマン」を書くというのが、ひとつの目標だった。
その2つをやったせいで、自分の中のモチベーションが、多少は落ちてしまったというのはあるんだろうね。
次にやるんだったらもっとすごいやつを、というふうに、どこかで思っていたのは確かだと思う。
「影武者(徳川家康)」をやる事にしたのは、それが「少年ジャンプ」の連載だったからというのはあったと思うよ。聞いた事もないような漫画雑誌だったら、やらなかったと思う。
―― 『アイアンリーガー』のOVAは面白かったよ。
會川 まあ、俺にとっては1本目が全てですけどね。1本目の面白さは、圧倒的だね。
―― 圧倒的ですね。さすがに、あのテンションは最終回までは続かないけど。
會川 最終回は、脚本が長過ぎたのがひとつ。それから、皆(他のスタッフ)があの終わり方に納得してなかったんだろうと思う、俺が突っ走っちゃって、ああいうかたちにしてしまったところがあってね。
―― シルバーキャッスルの連中が、一段落した後で、チームから離れていくというラストね。
會川 あの後も一緒にいるなんて事は、あり得ないわけじゃないですか。ああやって互いに戦って、力を確かめ合った後は、それぞれが次のステップに行くべきだ、っていうさ。
俺にとっては、あれが当たり前なんですよ。だから、何で皆が当たり前と思わないのかが、不思議。
―― いや、あれこそが會川節。
會川 (笑)。そういう意味では、小黒さんの解釈で言うと、当時アニメから離れて、ちょっと沈んでた俺が『アイアンリーガー』でアニメに復帰するきっかけを・・・・・・。
―― そんな事は言ってないって(笑)。
會川 『アイアンリーガー』で、TVをやらせてもらって、南(雅彦)さんとかアミノ(テツロー)さんに認めてもらえたのは、すごく嬉しかったんですね。
サンライズでは、前にやった『獣神ライガー』が上手くいかなかった事があったのに、南さんはそういった事に対して全く含むところなく、脚本だけで評価してくれた。
だから、全力で自分のものを全部ぶつけようと思った気持ちが、OVAの、特に1話に入ってますよね。
当時、サム・ペキンパーっぽいのをやろうと、アミノさんに言っていたんです。ああいったプライドを取り戻すみたいな話をやりたいと言っていた。
今となって思えば、あの時の自分の感情と、作品がシンクロしていたのかもしれないけど。
まあ、それほど都合がいいもんじゃないでしょうね、人生は。
―― いや、そう考えていいと思うけどな。で、『アイアンリーガー』の後は、TVシリーズの仕事が増えていくわけですね。
會川 そうですね。まあ、すぐに増えたわけじゃないんですけど。飲み友達だった川崎ヒロユキが、次にやる勇者シリーズで、勇者を意思を持ったロボットにしたいと思っていたんですよ。
それで彼が『アイアンリーガー』を見て、ロボットが人間と同じように喋るのは面白い。人間の問題を勇者を通じて描く事にしようと考えて、『(勇者警察)ジェイデッカー』に呼んでくれたりとか。
爆れつハンター』への参加も、その関係ですね。
―― 『機動戦艦ナデシコ』は御自身のヒストリー的には、どんな位置づけになるんですか。
會川 『ナデシコ』で、初めてストーリーエディターという役職を使った。それまでもシリーズ構成の役職でクレジットされたのは『アイアンリーガー』のOVAしかないと思う。
要するに『ナデシコ』は、TVで初めてメインをやった作品だったんですわ。それ以降、メインライターとして参加する以外の仕事が、ほとんどなくなったという事も含めて、ここから先が別の時代になっているんでしょうね。
そこからがストーリーエディター時代と(苦笑)。
―― ストーリーエディター時代の始まりね。
會川 かもしれない。でも、勘違いかもしれない。
―― いやいや。
會川 そういう時代があったのかもしれないけど、もう終わったんだと思うよ、去年で。
―― 『鋼』で終わったという事?
會川 うん。だって、TVのシリーズのかたちで、あれ以上、やれる事はないでしょう。少なくても人様の原作とか企画に乗っかって、「ストーリーエディターの會川でござい、どーん」みたいな作り方はもう飽きたし。今年で40だしね。
これからはオリジナルの方に力を注がなきゃいけないなあと、内心では思ってますけれど。
―― 話は前後するけど、『南海奇皇ネオランガ)』と『機巧奇伝 ヒヲウ戦記』って、御自身の中だと、どういうポジションになるの。
會川 両方共、自分としては非常に納得してる作品ですよ、大好きだしね。『南海奇皇』に関して、自分がこだわったのは、とにかく原作としてクレジットしてもらう事だった。
漫画の原作をやった場合などを除けば、脚本化が原作としてクレジットされるのは、稀有な例だったと思いますよ。その分、責任も感じたしね。
だから、『南海奇皇』では原作者としてやるべき事は何かを考えて、やったつもりです。
失敗したのは原作者だから小説のような話を作っちゃうんだよね。一応、最終回の着地点は考えてるんだけど、脚本を書いている間は、新聞小説を連載してるみたいな感じだった。
つまり、この15分にどこまで入るかが分かんないみたいな書き方になっちゃうわけ。勿論、プロットどおりになんか上がらない。
だから「南海奇皇」のシナリオって、後半駆け足になっちゃったし、それ以外の回でも詰まり過ぎな回が多いですよね。
―― なるほど。
會川 『ヒヲウ』はね、ちょっと違うんですよ。南さんが、からくりを使う子ども達が主役の時代劇を考えていて。で、「會川君、こういうの興味ある?」と声をかけてもらった。
その当時、俺が考えてたのは明治の話だったんだけど、その設定をグチャグチャッと混ぜたら、上手い具合に発酵しそうだったんで、南さんのアイデアを元にして、企画書を仕立て上げた。
話を具体的なものとして考えたのはこっちだから、原作として名前入れてもらっているけど、『南海奇皇』に比べると原作者としてやった仕事量はずっと少ないよ。
その分、気楽なところもあったし、だから好きなようにやれたという部分もありますよね。
ただ、この頃から不幸の連鎖が始まっている。こっちは一度として投げ出す気はなかったのに、「投げ出した」と言われる事が続いて。
―― ファンとかに、話をまとめなかったと言われているわけね。
會川 まあ、それは『ナデシコ』の最終回からそうだったんだけど。御存じのとおり『ナデシコ』の最終回は自分では終わるように書いてるし、『南海奇皇』も自分としてはあれでカッチリ終わってるつもりなんだけど。
『ヒヲウ』は、残り2クール分をいつか作るぞという決意表明として最終回を作ったつもりなんだけど、それはお客にとってはどうでもいい事だったらしい(苦笑)。
ファンがあの最終回を許してくれない理由は、未だによく分からない。
―― 『GAD GUARD』みたいに、最後まで地上波で放映できなかった残念な作品もあったけれど。
會川 最終回まで観てもらえれば、『GAD GUARD』も、話がきちんとまとまっているのは分かってもらえるとおもうんだけどね。
十二国記』は39話で最終回にはなってると思うけど、その続編に関しては自分のモチベーションも下がっちゃって、他のライターさんに渡さざるを得なくなってしまって。
で、『(奇鋼仙女)ロウラン』は最初は全3部作だと言われて、シリーズ構成をしたら、第1部だけで終わってしまった。あの時期ね、そういう作品が多かったんで、すごくめげてたんですよ。
―― そういった経緯を踏まえても、『鋼の錬金術師』は會川さんの全力投球が、全て形になった喜ばしい作品だと思うんだけど。
會川 俺は『ナデシコ』でも『南海奇皇』でも全力投球しているし、形になってないとは思わないですよ。『ヒヲウ』も『十二国記』もね。
でも、おっしゃるとおりなのは『鋼』では、お客さんの全部に、こちらが意図したとおりの最終回を観てもらえた。
つまり、途中からはCSに入ってなくては観られないとか、続きはいつ観られるのだろうかなんて思わせたりしないで済んだ。
そういう意味で、久し振りにちゃんとできたというのは、ありましたね。それから、1年のシリーズって最近では珍しいから、長いシリーズを満喫できる内容にしようという狙いもあったしね。
それは自分自身が満喫したい事でもあった。そんなところじゃないですかね。
―― 多分、會川さんには、脚本家という仕事に対して、ロマンがあると思うんだけど、そのロマンって、言葉にできるものなの?
會川 できるよ。ただ、誰に話しても「その言い方はひどいよ」と言われるんだけど(笑)。自分では、全くひどいとは思っていない。
あのね、俺に言わせれば、脚本家ってのは一番得をする仕事なんですよ。脚本というのは、自分の頭の中に妄想というかたちである映画を、一番金をかけないで、もしくは手間をかけない方法で実現する手段であるわけですよ。
実は、俺は趣味がないんですよ。映画を観たり本を読んだりするのは、仕事の一環だと思ってますから。逆に言えば、自分の脚本が映像になって、それを見るのが一番の趣味なんだよね。
こんな素晴らしい事ってないと思わない?自分が頭の中で考えた事を、優秀なスタッフが大金を注いで、必死になって映像にしてくれるんだよ。「いや、そうじゃない。自分自身で映像化した方が素晴らしいだろう」と言う人もいるだろうけど、その人は監督タイプなんだよ。
脚本家というのは、そうじゃなわけ。人にやってもらうのが嬉しい(笑)。
―― 一番最初に言った、市川森一さんが、大河ドラマでも「ウルトラ」でも同じ事を書いていた、というところにもロマンがあるんでしょ。
會川 あるんだろうね。少なくとも、俺はそういう作家でありたいと思ってますけどね。実は、どれを見ても一緒だというのが、脚本家だと思ってますよ。
だけど、それが一見、違うように見えるところが、またいいのね。あなただって、そうでしょ。
いろんな監督とかアニメーターの作品を見てさ、ひと目でその人らしさが分かったら、つまんないじゃん。
―― 素人目にも分かるようだと、つまらないかもね。
會川 誰が見ても分かるようになったら、そこにアニメ様の出番はないじゃない。
―― いやいや(笑)。
會川 「こことここに、実はこんな共通点が!」と言ったり、それに対して周囲の人に「ほら、アニメ様の『分かった』が始まった」とか言われなきゃいけないわけでしょ。
―― いけないわけじゃないけどさ。「今回のシリーズ、會川さんらしくないねえ。あ、ここだあー!!」みたいなね。
會川 (爆笑)。そういう事で言うと、俺はたまに名前を変えて、脚本やる事があるんですよ。だけど、それを楽しんでる部分もありますね。
どこまで違う脚本を書けるかな、というのを試しているみたいなところがね。ペンネームは2つや3つじゃないし、そのうちの幾つかはファンに全くバレてないよ。
―― そうか。ペンネームを使う時は、名前が違うだけじゃなくて人格も別なんだ。
會川 そう。別人格なんですよ。変な話だけど、會川昇の名前ではやれない仕事でも、別の名前だとやれるんだよね。「會川脚本」というものが自分の中にあるわけ。
そこから逸脱するものは、別の名前じゃないと書けないんだよね。それは、例えば与えられたスケジュールだったり、与えられた素材。無理をしてでもファンの気持ちを優先してあげないといけない場合とかね。そういう時には、基本的に名前を変えますね。
―― ものすごくスケジュールがない仕事で、會川の名前を出すのはいかがなものかと。
會川 と言うか、多分、自分の仕事だと意識したところで筆が止まっちゃうんだろうと思うんですよ。これで「俺の脚本」になってるだろうか、と言う事を考えてしまうから。
―― 「俺の脚本」かどうか、というのも大事なところなんですね。
會川 「俺の脚本」かどうかを判断するのは、俺だけだからね(笑)。だって本読みで、「これは會川さんの脚本になってませんよね」なんて、言ってくれるプロデューサーは、いないからさ。
―― それはそうだ。そんな親切なプロデューサーは、いないよ。
會川 (笑)。
―― さっきの『アイアンリーガー』の話もそれに近いけど、脚本の力が、お話以上のものを作品にプラスするんじゃないか、といった事も信じているわけだよね。
會川 それもどこかで信じてるよね。昔、徳木吉春さんがどこかの雑誌で『八犬伝』をちょっとだけ褒めてくれた事があったんです。
俺は(特撮ファンとして先輩だった)徳木さんとか中島さんに褒められる事って少ないんで、褒めてもらえると嬉しいんですよ。多分徳木さんは『八犬伝』が脚本によって形作られている作品ではないと知っているわけ。
だけど、會川昇の構成と脚本が、作画や演出の奮起を生み出してると書いてくれた。俺ね、そういうメタ的な関わり方というのを信じたいのね。やっぱり、素晴らしい企画とか素晴らしい脚本には、素晴らしい演出とか素晴らしい作画がついて来るんじゃないか、という幻想があるわけですよ。
―― 常にあるとは言わないけど、ある程度、そういった事はあるんじゃないの。
會川 ほとんどないよ。OVA時代の話だけど、自分で傑作だと思った脚本が、とんでもない監督にボロボロにされたこともあったし。そういう事を考えると、脚本家って報われないよ。
―― さっき、脚本家ってのは、一番得をする仕事だと言っていたじゃない。
會川 そういうリスクを負ってる仕事でもあるわけですよ。
―― リスクは当然あると。
會川 当然あるでしょう。だって、そんないい目ばっかに遇ってたらさあ、誰かに刺されちゃうよ。
―― 今さらだけど、會川さんが書くものってダークな話とか、見てる人が痛くなるようなものが多いじゃない。僕は、常にそういう部分を炸裂させていて欲しいと思うんだけど、そのあたりについては、いかがですか。
會川 そういう言われ方はよくするし、否定するつもりもないけれど。ちょっと雑談っぽくなるけど、映画の話をしてもよろしいですか。
―― どうぞ。
會川 俺には、世界中の映画を見たいっていう気持ちがあって、映画祭にもできるだけ行っているんです。この間、アラブ映画祭で「忘却のバグダッド」というドキュメンタリーを観たんだけど、それは、イスラエルに移住したイラクユダヤ人を扱った映画なのね。
複雑で重たい問題に切り込んだ作品で、それを観ると、迂闊にアラブの事なんて語れないなあと思うわけよ。イタリア映画祭で観た「家の鍵」という映画では、重い障害を持った子どもと離れて暮らしていた父親が、その子に治療を受けさせるためにドイツまで連れて行く事になる。
その男が旅の途中で、自分が親である事を自覚して、子どもを引き取る事を決意するまでの話なんだけど、それは痛いとか痛くないとかじゃないでしょ。
本当の障害者に障害者の役をやらせてるしさ。自分が書くと、どうしてちょっと重い話になったり、痛い話になったりするかというと、そういった映画が当たり前だと思っているからなんだろうね。
世界のあちこちで、そんなふうに観た人間の心を揺さぶろうとして映画が作られているというのに、何で「會川の作る話は痛い」とか、そんな事を言われなくてはならないんだって。
―― なるほどね。
會川 自分にとっては客の感情に訴える、心の奥底を揺さぶるのは、当たり前の事だと思うわけ。それが映画作りの一番の動機だと思いますからね。
逆に皆が、痛みを忌避する傾向にあるんだったら、それは不思議な事だと思う。で、よく「會川は、そうやってネガティヴな事でしか感情を揺さぶれない。もっと幸せな作品を作ればいいのに」みたいな事を言われるんだけど、幸せぶっているだけの話で、感情が動くか。
それは、動いたように見えてるだけだと思うんですよ。特に子ども向けのものを見て「幸せ」と言ってる人達は、自分が傷つくのが怖いだけでしょ。
で、書き手は、相手を傷つけてる時に自分が一番傷ついていますからね。それは、お互いに傷の見せ合いっこしてるようなものでさ、そういった事が悪趣味だって言うなら、映画を見るなと(笑)。そういう感じなんじゃないですかね。
だから今回の劇場版『鋼の錬金術師』も、自分が作る映画だから、そういうものとして作っているつもりですよ。
―― 劇場版『鋼の錬金術師』では、他にどんな事を意識して臨んだの。
會川 海外に持ってっても、TVシリーズの外伝としての映画という感じで評価されたくない。一本の独立した普通の映画を作りたかったという事だよね。
―― 申し訳ない事に、僕は劇場版の脚本もコンテも、まだ読んでないんだけど、TVシリーズを観なくても分かるようには、なってないんだよね。
會川 いや、むしろすごく分かるようにした。TVを観てない人でも、何が起こってて、なぜこうなっているのかが分かるようにした。
―― なぜ2つの世界に、離ればなれの兄弟がいるのかとかも?
會川 そう。それから、そういう事も含めて、観た人が「なぜ?」と思った事に、テーマがいかないようにした。
―― 分からない事があっても、それが鑑賞の妨げにならないようにしたわけだ。
會川 別々の場所に離された兄弟がいて、それが再会出来るかどうかってのは、普遍的な話じゃない。だから、その普遍的な話をやろうという事ですね。小黒さんは『鋼』の映画に、何か期待されてる側面はあるわけですか。
―― いや、実はあんまり期待していない。きっと、ちゃんとした話になっているだろうと思うから。そういう會川作品には、あまり興味ないかな。
會川 ああ、大丈夫。皆が期待するほどには、ちゃんとしてない。
―― そうなんだ。それはいいな(笑)。
會川 今日の取材では、監督の話はほとんどしてないけど、水島(精二)さんは、俺なんかよりずっとしっかりしてますよ。その考え方と器の大きさ。器の大きさとは、もしかしたら体の大きさに比例するかもしれないと思うくらいに。
―― それで言ったら、最近は、あなたも器が大きくなってきたんじゃないの。
會川 (爆笑)。いやいや、俺の器は小さいよ。水島さんが受け止めてくれるから、脚本の段階で、いわゆるアニメ映画の範疇とか、普通の日本の映画の範疇からはみ出した事をやってる。だから、ちょっと異様なものになってると思いますよ。
(2005年5月30日 東京・會川昇宅にて)